時々、さんざめく

とるに足りないニワカ趣味話(旅行、美術、酒etc)

開館60周年特別展「横山大観と川端龍子」@大田区立龍子記念館

下車したことが殆どない大森駅
そこから歩いて20分程度。バス乗っても良かったんだけどね、本数多いし。



早咲きの桜が咲くこちら、初めての美術館。
大田区立龍子記念館。龍子=川端龍子文化勲章受章と喜寿記念で建てられた記念館だそうで。…ということは、存命中に建てられた記念館なんだなあ。
ちなみに旧宅とアトリエが隣の龍子公園内にあって、記念館開館日に職員の方が案内してくれる。今回は時間がなくて伺わずであったが。

で、今回の展覧会。

川端龍子横山大観の関係性と絵画比較の展覧会。
実は一度記念館に伺いたいなあとは思っていて、今回とっつきやすいなあ、と思って。
個人的には龍子も大観も、絵についてのチャレンジ精神が強いお二方なので、精神的にはよく似た御二人だよね、とは思っているし、展覧会拝見してからも印象変わらなかったなあ。
大観の方が龍子より18歳年上。
あ、展覧会自体は前後期制で、この日が展覧会最終日だったので当然後期。


入口から入ったところ、真正面が丁度右側に折れるようになっているのだが、ますそこに展示されている絵でおおおおお、と。
「草の実」。
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東京国立近代美術館で拝見した「草炎」と同じく紺地金泥。「草炎」より落ち着いた色になっているのは、「草の実」が晩秋の絵だから。いきなりこちらはインパクトが強い…。

お陰で、今回のプロローグになる絵を見逃すところだった。入口入ってすぐ左側。
龍子「逆説・生々流転」。
「生々流転」…大観の有名な絵、だよね。東京国立近代美術館所蔵の。


ええ、こちらの展覧会で展示されるのは存じ上げてますよ、と思いつつ。
大観の「生々流転」は、とても長い画面に水の一生、というか変化していく様を描いているそうで。
龍子は大観へのオマージュで、やはり長い画面に、穏やかな風景をなぎ倒す台風を描いている。当時、狩野川台風という甚大な被害をもたらした台風があったそうで。
ただ、画面を見ていくにつれ、台風の後に、それでも必死で生活していく人々を描いている。
龍子は結構ヒューマニストだなあ、とちょっと思ったりもする。


第1章「川端龍子の再興日本美術院時代」。
日本美術院は元々岡倉天心が起こしたものだけれど、一旦岡倉天心が渡米したことによって解散状態になり、それを大観や下村観山が立て直したので「再興」日本美術院
川端龍子は元々油彩をやっていたけど、アメリカに留学して挫折して、当地でボストン美術館の「平治物語絵巻」に感動して、日本画に転向したという。
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って「平治物語絵巻」って拝見してるじゃないか!
で、日本画に転向して数年で日本美術院に入ってるのが並大抵でないんだよね…。
というわけで、龍子の若い頃の作品。
上記の「草炎」拝見した時に同時に展示されていた「盗心」を展示していたり。
で、重要な絵が「火生(日本武尊)」。これ、日本武尊を炎の化身のように(個人的には不動明王っぽいとも思う)描いていて、とても映える絵なのだが…これが当時、大批判だったそうで。まあ、確かに大胆な絵ではあったんだろうなあとは思うけれど。
従来の「床の間芸術」とは違う「会場芸術」、と批判されて、それで結構!的にそのまま言葉使う龍子は結構ロック。
これで揉めて日本美術院を脱退してしまう=日本美術院の再興に携わった大観と断絶、という。
組織背負っちゃうとどうしようもないかもだけど、大観個人としてはどうだったんだろうねえ、とは。革新的な画家だし、「朦朧体」の件と似てる案件だしなあ。
あ、個人的には、「花と鉋屑」の蓮の花の美しさが好きだなあ。

あと、ちょっと話はずれるのだけど、第1章の展示の逆側、ここにも龍子と大観の、小品が並んでいる。
こちら、所蔵が「伊豆市」。伊豆・修善寺に新井旅館という旅館があって(現存してる)、こちらが画家のパトロンになってて、大観もその一人だし、龍子は洋画を描いてた時代からのパトロン。こんな繋がりもあるんだね。
龍子「湯浴(湯治)」は温泉につかる御自身の娘さん(子供時代)を描いてて、ほっこりする。
龍子「鶴」もとても凛々しい。


第2章「近代日本画壇の巨星・横山大観」。
いきなり展示されている、見覚えのある展示。「無我」。同じ絵が東京国立博物館にある。こちらは水野美術館所蔵。足立美術館にも所蔵があるんだよね、こちら。
「朝輝」は黒に真っ赤な太陽を描いてて、やっぱり大観自体はそんなに「床の間芸術」ではないよなあ…と思ったり。
この章の最後には、同じく日本美術院再興の核だった観山「松」と大観「竹」が。
観山が描く松は本当に格好いいのだが、当時、観山を松、大観を竹に例えるなんてこともあったそうで。なお、梅は菱田春草。わ、分かる。


第3章「大観と龍子/富士と龍」。
まずは富士。
大観の格好いい富士がずらりと。「正気放光」「霊峰富士」辺りが好きだなあ、と思ったら、名都美術館所蔵。名都美術館さん、良い絵をお持ちで…。
そして龍子の富士は「怒る富士」。黒い雷雲に取り囲まれた、赤黒い富士。不穏。実はこれ、1944年=大平洋戦争末期に描かれた作品。その辺りも全部取り込んでいらっしゃるなあ…。で、後日調べたら、この年に奥様に先立たれてるそうで…。
その横には、四曲一双、右隻は薄い水の色、左隻は深い海の色、力強く舞うカモメの「潮騒」。こちらは高島屋資料館所蔵。だけど、これって山種美術館所蔵の「鳴門」のモティーフ…と思ったら、「鳴門」のような絵を描いてほしい、と高島屋さんから依頼されたそうで。成程。
こちらは戦前(1937年)に描いていて、ちょっと「怒る富士」の重さを吹き飛ばす感じの爽快感。
ただ、更にその横に「臥龍」。大きな画面に、大きな龍がくたびれ切ったように目も身体も伏せている。これは1945年の作。まあ…そういうこと、ですよね…。
この後に大観の描いた龍もあるけれど、こちらを拝見してしまうと…なあ…。
あ、そうそう、第3章に唐突に展示されていた「東都名所」。東京国立近代美術館所蔵の。
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この時拝見した小茂田青樹「御茶の水」、再びお目にかかった。
龍子も大観も書いているけれど、近藤浩一路「湯島霊雲寺」が墨一色で、これはこれで格好良い。近藤浩一路水墨画が多い画家なんですな。白井晟一(建築家、松涛美術館の不思議な建物を手掛けてるのもこの方)の義兄だそうで。こんなところで。


第4章「大観と龍子/雪月花と松竹梅」。
大観と龍子は戦後に和解。…どうしてここまで和解に時間がかかったんだろうねえ、とは。龍子は大観をかなりリスペクトしていたので、大観の立場を慮って遠慮してた可能性はあるけど。
ともあれ、和解してから合同展覧会が開催される。…その話は聞き覚えがあるぞ…。しかも二人の展覧会ではなく、川合玉堂を加えての展覧会。ご、豪華。
まずは「雪月花展」。大観が雪、玉堂が月、龍子が花にたとえられてた。雪の大観は「花吹雪」、月の玉堂は「月天心」、でもって花の龍子は「若鮎」。…花…は?(あ)鮎は笹と一緒に描かれていたが。綺麗だけど。
更にこの三人で「松竹梅展」。ああ!
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山種美術館で拝見した!その時の絵画がここで展示されていた。
「松竹梅展」は3回行われていて、3回目は玉堂が松、龍子が竹、大観が梅。龍子の竹「昔噺」も金地に竹と雀が描かれていて素敵なんだが、玉堂の松「若松」があまり玉堂っぽい絵ではなく、面白い表現だった。玉堂はこの展覧会の翌年に世を去っているんだけれど、晩年にまた新しい境地があったのだろうか。


決して展示数は多くなかったけれど、勉強になる展覧会だった。龍子と大観だけの話でもなく。


続く。