時々、さんざめく

とるに足りないニワカ趣味話(旅行、美術、酒etc)

ヴァロットン―黒と白@三菱一号館美術館


結構な雨の日(でも写真よく撮れてるなあ)。

三菱一号館美術館のヴァロットン展。
ヴァロットンの個展を三菱一号館美術館で実施するのは2度目。最初は2014年。
…実はその展覧会に軽い気持ちで行ったのが、書き手が美術館通いを始めるきっかけ。
確かその時も雨だった。開催したのが梅雨時期だったのもあるけれど。

2014年の展覧会はヴァロットンの生涯全体にスポットを当てていた。
最初は木版画が多く、都会の人々や群衆やらを俯瞰的に描いていて、結婚してからの油彩は…真正面から人を描くことが殆どない、どこか冷えた室内画や、現実からわずかに外れたような、妙に不安を感じさせる絵を描く画家。
morina0321-2.hatenablog.com
以前も書いたが、ハマスホイ(ハンマースホイ)の「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」(国立西洋美術館蔵)を最初に拝見した時、ヴァロットンを想起した。

実は先日上記の本を読んだのだが(図書館で借りた)、そこでもヴァロットンとハマスホイの類似点を指摘していたから、似た感想を受け取るのは間違ってはいない様子。冷えた個性というか。
で、今回はヴァロットンの木版画にスポットを当てて「黒と白」。
実は三菱一号館美術館、ヴァロットンの木版画をかなりの点数所蔵していて、それを使用しての展覧会。


この展覧会、紙で作品リストを置いていなかった。PDFをダウンロードできるQRコードは展示してくれていたが。
…ううむ。…メモやら印をつけられないのは不便なんだが(そのためにノートは用意してあるけどね)。


第1章「「外国人のナビ」ヴァロットン」。
ヴァロットンはスイス人で、ナビ派に参加していたのでこのタイトル。初期作品。
若い頃の、エッチングやドライポイントの作品もある。
「眠る画家の母、横顔」はドライポイントなんだけど、黒と白の面の領域が広くて、この頃から木版画に移行した後の画風が見えるような。
で、そこから木版画へ。エッチングやドライポイントと違って線が太くなるのは木版画の特徴なのかな。
「1月1日」は版木と共に飾られていたけど(完成した木版画1点のみにするため、基本は版木は処分されてしまうので、版木が残っているのは珍しいそうな)、本当に白い部分はがっつり彫られていて、面白い。薄い輪郭は浅く彫られてるとか。「1月1日」は裕福な家族の左右に物乞いがいる、という、ヴァロットンっぽい題材でもある。
あ、最初の方は山を描いた作品が多い(スイス人としては身近な題材ではある)。
ユングフラウ」は月と山と雲という素敵な題材。もしかしたら少しジャポニズム影響があるかもしれない。他のナビ派と、いや他の当時フランスにいたアーティストは全てそうかな、ジャポニズムの影響はあったみたい。


第2章「パリの観察者」。
三菱一号館美術館の大きな部屋での展示、ここは写真OK。

作品もOKだけど、個人的にはこの章立ての表示の仕方の格好良さがいいなあ、と。



勿論、作品モティーフの装飾も。なかなか御洒落。
ヴァロットンはパリの市民生活や群衆を、とても冷静な目で見て描いている。冷静な目、というか皮肉気な目、というか。
…どうも、ヴァロットンは人間に対して達観してる性格だったのかなあ、という気もしてしまう。
彼がスイス人であってフランス人でなかった、というのもあるのかもしれないが。
展示で面白いのは、「群衆-パリの野次馬たち、街路の生理学」と「罪と罰」は書籍なんだけど、その1つ1つの版画をスライドで見せてくれている。
書籍だから頁替えしないと普通は拝見できないのでありがたいし、しかもこのスライドが全て撮影OK(流石に動画はNGだったけど、映像は他の展覧会だと普通は写真NG)。太っ腹!
そうそう、「罪と罰」もそうだけど、ヴァロットン、割と犯罪場面も事故場面も描く。馬車に轢かれてる人とか、川に入水自殺したらしい遺体(人の頭みたいなのが水面に描かれてる…)を引き上げようとしている(橋の上には野次馬ぎっしり)な「自殺」というまんまなタイトルもあるし。
子供も結構描いているのだが(ナビ派は一般の子供を描くようになった一派でもある)、「可愛い子供たち」なんか、警察に連行されている男にわらわら群がってる子供達だったりするし…。
あ、そうそう、この部屋に油彩「公園、夕暮れ」があるのだが、この絵が非常にナビ派っぽいと感じたんだよね。


第3章「ナビ派と同時代パリの芸術活動」。
この章は他のナビ派リトグラフも一緒に。
ヴァロットンは「入浴」が出ていたけど、なるほど、風呂の絵といえばボナールだな、と(ボナールは奥様が療養で何度も風呂に入ったため、そういう絵が多い)。
ナビ派にそんなに拘りはないのだけど、ケル・グザヴィエ・ルーセル「雪の中で」は割と好みだったり、個人的には結構好みなヴュイヤール「室内」は薄墨的なリトグラフでの作品だったり、ボナール「家族の情景」は色の使い方がお洒落で、ボナールの作品としては好きな方だったり。


第4章「アンティミテ:親密さと裏側の世界」。
ヴァロットンが室内を描く版画集。
「楽器」の連作は平和で(音楽は鳴っているだろうけど)静かな情景で、これはこれで良い。ひたすら一人で練習に没頭している(猫が邪魔してる絵もあったけど)作品集。
良いのだが、その他の作品が男女の絡みに不穏なタイトルがついてるのが多い。
澄まし顔の女性に縋り付いて泣き崩れてる男性のタイトルが「信頼する人」とか。
でもって「アンティミテ」のシリーズ。「アンティミテ」はフランス語で「親交」という意味。…まあ…なかなか男女間のアレが…こう…。
澄ました顔の女性に言い寄ってる風の男性の作品にタイトル「お金」とか。
女性が顔覆って泣いてて、男性が滅茶苦茶狼狽している作品が「最適な手段」とか。
…いやあ…いいですな…(あ)
あと、「アンティミテ」の版木を(前述による完成品を1つにするため)処分する際に、アンティミテのシリーズの一部分をそれぞれ組み合わせて「版木破棄証明のための刷り」として作っていたのだが、これが作品としても非常に素敵。
ちなみに、この展示の直後、小部屋にこんなものが。


「アンティミテ」の作品を少し加工して(腕が動いたりする)繋いだ動画。記載通り、写真も動画も(!)OK。
「版木破棄証明のための刷り」も出てくるのが嬉しい。


次は章立てではなくて。
「姉妹館提携/アルビ・ロートレック美術館開館100周年特別関連展示 ヴァロットンとロートレック 女性たちへの眼差し」。
「アルビ・ロートレック美術館」はフランスの美術館。ロートレックの作品を寄贈してもらった美術館だそうで。
というわけで、このセクションはヴァロットンとロートレックの比較。
ロートレックは夜の世界に耽溺した方だが(彼の生活環境的に仕方がないと個人的には思う)、ヴァロットンは意外と「夜の世界」に関しての題材は少ないよね。「夜の世界」より上流階級のアレコレにはアレなだけで。
展示されていた「交響曲」も「夜の世界」というよりは、それよりアッパー階級な気がするしな…。


第5章「空想と現実のはざま」。
結婚してからの版画、かな。
結婚してからは油彩の方が作品数は多かったと思われる(それは前回の展覧会で思う)。ただ、それでも周囲からのニーズで木版画を作成していたっぽい。
「蔵書票」に馴染みがなくて初めて知ったのだが、蔵書の持ち主が誰かを明らかにする風習があったらしい。まあ、昔は蔵書を保有するなんて、とんでもなくコストがかかる話だというのは理解できる。印刷技術も発達していなかった時代だと猶更。
「F.レザンの蔵書票」はそういう意味で作成されたのだと。これが格好いいんだ。ヴァロットンのデザイン力の高さを感じる。
「小さな浴女たち」のシリーズも素敵。
あと、ジュール・ルナール「にんじん」の挿絵を手掛けたのもヴァロットンだそうで、そのほか「博物誌」「愛人」の挿絵も手掛けているそうで。「博物誌」の挿絵は綺麗だったなあ。もう少し拝見したい。
で、更にヴァロットンの晩年、「万国博覧会」(1900年)の作品と、第一次世界大戦関連の「これが戦争だ!」シリーズ。
万国博覧会」はヴァロットンの俯瞰的な冷静な目が描かせるのだろうな、と思うのだが、「これが戦争だ!」のシリーズは…。
ヴァロットンは第一次世界大戦に軍人として従軍希望だったらしい。年齢的にNGで、結局は従軍画家として参加したのだが。
…よく考えたら、ヴァロットンはフランス人ではないので、従軍希望がどういう意味だったのか、は結構深いものがあるような気がするが。どうなのか。
そして従軍画家として残した作品は、戦争の無残さを淡々と描いているような作品だった。


ヴァロットンは人間を好きだったんだろうか。
どうもなかなか複雑な心理をお持ちだったように、思う。
スイス人というナショナリズムも含めて。
とても興味深い。作品にも、底辺にある考え方も。


この後、下記の後期展示に顔を出そうかと思ったのだが。
morina0321-2.hatenablog.com
チケット売切れちゃってた。なので予定変更。


続く。