時々、さんざめく

とるに足りないニワカ趣味話(旅行、美術、酒etc)

柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年@東京国立近代美術館

www.momat.go.jp

今年2度目の「民藝」系展覧会(前回は下記)。
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今回、日本民藝館はかなり協力して展示作品を出しているのだけど。


…というか、なんですかね、このリスト(遠い目)450超の作品数とは。
というわけで、結構覚悟して、勿論リストも印刷して、おはようございます。
ちなみに前後期制だけど、そこまで入れ替えは多くない。いや十分な展示数だけども…。



第1章「「民藝」前夜―あつめる、つなぐ」。
1910年~1920年初頭、「民藝」の言葉が出る前の話。
全く意識がなかったんだけど、柳宗悦って「白樺」同人だったんだね。「白樺」同人は学習院関係者が多いのだけど、柳宗悦学習院。文芸雑誌で?と思ったら、元々、宗教哲学の文章を書いていた模様。で、その後、西洋近代美術の文章も書き始めたようで(「白樺」は西洋近代美術を紹介する美術雑誌の性格も帯びたようで。書き手の趣味が生かされるというのは「同人」雑誌なんだなあ、とは)。
ちなみに、柳宗悦は結婚して我孫子に住んで、そこに「白樺」同人が次々集まってきて、今でも我孫子には「白樺文学館」があるのだけど、柳宗悦我孫子に住んだ理由が「母方の叔父が我孫子に別荘を持っていたから」で、その叔父が嘉納治五郎という…。意外な名前出てきた…。
ちなみにバーナード・リーチも「白樺」と繋がって仲良くなって、我孫子に窯を開いて、そこに濱田庄司もやってきて、と繋がっていく。

第1章の1は「「白樺」:東と西が出会う場所」。
「白樺」が主に取り上げた西洋美術と、それを見に来た浅川伯教(朝鮮王朝美術の好きが高じて朝鮮に渡ったりしていた。ちなみに1910年から朝鮮は所謂「日本統治時代」)が手土産に持ってきた陶器「染付秋草文面取壺」で出逢った朝鮮陶磁の話。
「染付秋草文面取壺」は今回展示されているんだけど、非常に品が良い感じの絵が描かれた白磁でいいんだよねえ…。
個人的には、「白樺」はロダンと書簡で交流して、ロダンから彫刻3点を送られて(今回全て展示)騒ぎになってた話とか、なんか…同人雑誌っぽくていいなあ、と。同好の士的な。
あと、この章にはポール・セザンヌ「風景」が(大原美術館蔵)。もしかしたらあまりセザンヌっぽくないかもしれないけど、個人的には嫌いじゃないなあ。

第1章の2は「富本とリーチ」。
富本=富本憲吉。富本憲吉は「民藝」に一時期関わってるので、先日の日本民藝館にも展示は出ていたね。
青磁急須」と「彫絵蓋壺」は個人的に結構好み。
バーナード・リーチの写生画もいくつか。写生画、嫌いじゃないなあ。

第1章の3は「「陶磁器の美」と初期コレクション」。
初期は中国とか朝鮮の陶磁器。
「鉄砂草文瓶」が素敵、というか鉄砂釉の色がそもそも好きだというのもあるんだけど。


第2章「移動する身体―「民藝」の発見」。1910年後半~1920年

第2章の1は「朝鮮の友へ」。
朝鮮の友は浅川伯教と、その弟の浅川巧のこと。「朝鮮民族美術館」を設立してる(今は韓国国立民俗博物館が継承しているそうで)。最初は日本じゃなくて朝鮮の「民藝」なの、面白いよね…。
展示は暫く朝鮮の陶磁器が続く。「染付花文小瓶」がシンプルで好きかな。
あ、そうだ、この辺りは朝鮮の箪笥をモティーフに作成した、日本民藝館の棚に陳列している。

第2章の2は「日本蒐集紀行」。
浅川巧と共に朝鮮陶磁器を見るために、甲府(浅川兄弟は山梨の出)の旧家に行ったら、たまたま木喰仏に出逢ってハマってしまったそうで、全国行脚(柳宗悦、所謂ヲタ気質だよなあ…(あ))。
丁度この頃、全国に鉄道が出来て、全国行脚もしやすくなったんだね(なので、当時の地図とか、旅行クーポン券とかも展示されてる)。
で、日本全国の民藝に出逢って更に深みに。
「鉄絵菊に蝶文行灯皿」の絵の美しさとか、「白掛黒流蝋燭徳利」の流し釉が綺麗さとか、「東こぎん肩布」の刺繍の美しさとか。
そうそう、「丹波布夜具地」も出てきた。普通に一般の格子柄だけど、この後も色々出てくる。

第2章の3は「西欧蒐集紀行」。
ドイツとイギリスへ(バーナード・リーチ濱田庄司がイギリスにいた縁もあるのかな)。
イギリスの椅子に、ここで出てきたスリップウェア。あと、マフラーの布地もとても良い色だった。


第3章「「民」なる趣味―都市/郷土」。1920年~1930年。

第3章の1は「民家・民俗学と民藝」。
民俗学柳田國男。ただ、ちょっと民藝とは違うので、話はしたけど交わらなかった感じ。
あとは民家。基本的には書籍なのだけど、ここでいきなり存じ上げてる名前が出てきた。ブルーノ・タウト
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東西の家屋の類似について書いてた書籍。ここで絡むのか。

第3章の2は「フォーク・アート」。
大津絵・絵馬・三春人形。大津絵は何も解説書かれてないけど、表具に丹波布がしれっと使われてる。

第3章の3は「山本鼎と農民美術運動」。
山本鼎は美術館では結構拝見するお名前。一番作品を拝見したのはこちらかな。版画を。
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ただ、ここでは教育家というか、農民美術運動というのを始める話。農閑期に芸術で生きがいを持たせて、更に作品を売って生活の糧にしよう、という、なかなか考えている話ではあるんだけど。
山本鼎が教える芸術、その地方の特色を出すようなものではなかったので、柳宗悦の民藝とはちょっと反りが合わなかったみたい。

第3章の4は「用途の転換」。
江戸時代は使っていた燭台とか、囲炉裏の上で吊るすための自在掛とか、明治になると使わなくなってきた道具を、そのままなくすのは惜しいという風にかき集めてた。自動的に古物を保存する形になったたんだなあ。

第3章の5は「発掘と地図」。
初期は割と有名な産地の陶磁器が多い。唐津だったり志野だったり。
所謂「絵唐津」は朝鮮の鉄砂が伝わって作られたのではないかという鋭い指摘や、個人的に志野好きなので目の保養ではあったりしたんだけど。

第3章の6は「新しい民藝をつくる」。
蒐集から創作に。実は関東大震災を機に、柳宗悦は京都に移住していて、共鳴した黒田辰秋・青田五良らで「上加茂民藝協團」を結成した際の作品。
黒田辰秋は朝鮮の箪笥を手本にした「拭漆欅真鍮金具三段棚」や、組み子状の飾りがモダンな「黒漆灯火器」を作成し、染織家の青田五良は不揃いさが素朴で素敵な「裂織敷物」を作成。青田五良は資料の写真にある作品も素敵だったんだけど、作成してから数年後に結核で早逝されていた。
柳宗悦とは濱田庄司を通して知り合った、河井寛次郎作品もあるよ。濱田庄司作品も勿論、展示されてる。
ちなみに、大礼記念国産振興東京博覧会という博覧会で民藝の各種作品を展示して、そのうち民藝館を朝日麦酒(現在のアサヒビール)創設者の実業家・山本為三郎の邸宅に作品ごと大阪に移築して(!)、それを三国荘というのだそうで。
そこの現在作品はアサヒビール大山崎山荘美術館所蔵になっていて、ここでの展示はアサヒビール大山崎山荘美術館所蔵のものが多い。
元々、一度行ってみたい美術館ではあるのだけど。


4章「民藝は「編集」する」。
1930年~1940年。柳宗悦が民藝を紹介する際の「編集者」としての役割の話。編集者というか、アート・ライターというか、アート・ディレクターというか。

第4章の1は「出版とネットワーク」。
とりあえず雑誌「工藝」が並ぶ。芹沢銈介や鈴木繁男の装幀が美しい。
鈴木繁男は柳宗悦の書生だったそう(鈴木繁男は静岡の生まれで、恐らく、日本民藝館が最初に浜松に開館して(すぐ閉館したらしいのだけど)その縁と思われる)だけど、芹沢銈介は?と思ったら、「上加茂民藝協團」ができた頃ぐらいに柳宗悦の民藝の論文を読んで、それからの縁みたい。
で、こちらには書斎風展示コーナーがあって。

ここだけ写真OK。ただし、個々の展示品のズームアップ写真はNGだそうで。
…本の装幀の詳細が撮りたかった…。

第4章の2は「歩くメディア―民藝と衣装」。
民藝関係者、皆がいいと思った格好を揃えて着て、それがしかもちょっと変わってる服が多くて、それで何人かで一緒に民藝を探して歩くから、かなり目だったそうで…。職質されたりもしたらしいし(そりゃあそうだろう…)。
柳宗悦が着用していた「茶地縞ジャケット」も毛織物ベースで、まあお洒落。
あと、黒田辰秋「根来鉄金具手箱」は河井寛次郎がネクタイ入れに使用していて、そのネクタイが手織りのものが結構入っていたり。解説に「志村ふくみの作も」と書いてあってびっくりする。

第4章の3は「民藝フォント」。
民藝に使われている独特な文字の特集。
個人的には文字はそこまで詳しくないんだけど、気になったのは「酢徳利」。これは鳥取の牛ノ戸焼(ここは民藝と関わりが深い)なんだけど、「北海道」と文字が。鳥取は北海道の移住を積極的に勧めた土地だったそうで、そのせいだとか。
…結構生活が困難だったとか、あるのかな…。この辺は少々歴史を学んでみたいかも。

第4章の4は「トリミングの技術」。
トリミングと言うと謎なんだけど、前の展示で出てきた丹波布やこぎん刺繍をどう紹介するか、ということで、結局書籍に衣装の一部を美しく切り張りして紹介してた。
これは本当に上手く「トリミング」されていて、紹介記事が美しい。焼き物も一部の模様を紹介したりしてたし。

第4章の5は「流し掛けと渦巻―自然・平易・自由」。
流し釉の陶器と本での紹介。信楽の「焼締黒流茶壷」が渋くて格好良かった…。

第4章の6は「「展示」する技術」。
となってるけど、日本民藝館の設計スケッチと、陳列ケースのスケッチ。まあ、美術館の設計はともかく、陳列ケースまで柳宗悦の拘りがあったと。

第4章の7は「デザイナー柳宗悦」。
大津絵を丹波布と、濱田庄司に作ってもらった軸で表装してたのは、前述の日本民藝館でも教えてもらった。
後はデザインした便箋セットとか、松江の金工職人の金田勝造へ製造を依頼した砂糖挟み(シュガートング)のデザインと実物とか。

第4章の8は「生産から流通まで―たくみ工藝店」。
こちらは新作の民藝を「ショップ展開しよう」という試み。
「たくみ工藝店」は鳥取民藝運動をしていた吉田璋也が設立。ちなみに「鳥取民藝美術館」を設立した方でもある。
mingei.exblog.jp
この方は医者が本業だけど、民藝デザイナーでもあった。
民藝に共鳴した方の出身地だったり、民藝で「発見」された焼き物があったりで、鳥取・島根は民藝とかなり縁が深い(あと、岡山も。岡山は外村吉之介や、大原家(所謂クラボウクラレの創業一家)が共鳴したこともあって盛ん)。
吉田璋也着用の一式が展示されてたけど、ツイードスーツに手編みのネクタイ、懐中時計の下げ紐に、持ってるカバンが竹製でなんともお洒落。
デザインで面白かったのは、セピア(イカスミ)インク。元々バーナード・リーチがイギリスから持ち込んだのを、吉田璋也が日本で作ったのが国産としては最初のようで。バーナード・リーチがセピアインクで吉田璋也の肖像を描いていたけど、色が綺麗で、バーナード・リーチのタッチにも非常にあっていて。
あと、「手編みのネクタイ」は前述の河井寛次郎のネクタイ入にも入っていたと思う。正式名は「ににぐりネクタイ」。「ににぐり」は繭から絹糸を紡いだ時に、二番目に取れる製品にならない糸のことだそうで。…ということは、真綿の元になる糸かな?銘仙とかもそういうので作ったりするけど、ここではネクタイに転用したのね。これが非常に色合いも素敵でね。可愛い。


5章「ローカル/ナショナル/インターナショナル」。1930年~1940年。
この年代は…そりゃあナショナリズムは…ねえ…。

第5章の1は「「日本」の民藝地図」。
いきなり大きな日本地図がどーん。芹沢銈介「日本民藝地図」。そのまま、日本地図に各地の民藝を書き入れている。
なお、ここでは沖縄は入れているけれど、北海道は入れていない。当時の認識で、北海道は開拓地のイメージがあったのもあるみたい(ただ、日本民藝館が扱う「北海道のもの」はちゃんとあるんだけどね。後述)。
沖縄(琉球)も別の文化のような気もするけど、まあ細かいことは置いておく。
とりあえず書き手の地元のものはあるかな、と思って見たら、「箪笥」と「だるま」が。春日部桐箪笥と越谷だるま!
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実は書き手も知ったのは埼玉県立歴史と民俗の博物館で、ではあったんだけど。後は小川和紙とか。確か小川和紙も知ったのはNHK「イッピン」だったかと…。あ、勿論、岩槻人形も載ってた。
この地図は地元の都道府県で何があるか、という観点を入れると楽しい。
個人的には島根の湯町窯も見付けてた(日本民藝館で気になったからねえ)。あとは石州和紙とか。
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島根のアンテナショップで気にしてたんだよね、石州和紙。石見神楽の面は石州和紙で出来てるのもあって。なんか色々雑念が(多分気のせいじゃない)
で、地図だけじゃなくて、各地の民藝作品が同時に展示されている。
気になったのは、鮮やかな橙色をした佐賀・白石(白石焼なのかな)の「鉛釉青飴流土鍋」、ふっくらしている形が可愛い香川・丸亀の「手箒」(あちらでは「すべ箒」と言うらしい)、富山・高岡からやはり出てきた高岡銅器「瓶掛」、非常に素敵な深い紺色をした山形・新庄の新庄東山焼「海鼠釉土鍋」、模様が美しい岩手・鳥越竹細工(鳥越は一戸町の地名なのだそう)の「竹行李」。

第5章の2は「境界:沖縄」。
衣装としては前期展示は紅型が展示されていたけど(この辺りは芹沢銈介が関わっていくことになるけど)、後期は琉球絣が出てくるみたい。民藝の目だと絣もかなり気にしていたみたいで。
琉球絣は以前も拝見しているし、東京国立博物館でもよく拝見するけど。
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後は壺屋の陶器。金城次郎もあれば、影響を受けた濱田庄司河井寛次郎作品も。濱田庄司「白掛藍糖黍文花瓶」はサトウキビモティーフで、いかにも沖縄でいいなあ、と。
で、変わった展示は「垢取り」。サバニという、沖縄や奄美で使用されていた船があるのだけど、船にたまった水をかき出す木桶のこと。そんなものまで…。
なお、サバニについては、こちらの記事で挙げた本で知ってた。
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第5章の3は「日本文化の対外発信」。
博覧会やら、外国の雑誌に紹介された日本の民藝の記事等。

第5章の4は「東北の民藝と「経世済民」」。
東北はどうしても雪深くて冬に産業ができなくて、その代わりに民藝を収入減にできないか、という試み。
目を惹くのは、藁沓や雪兜、蓑(伊達げら)や背中当(ばんどり)等の、東北の冬に必需品の数々。藁沓は編みがきっちりしてるし、雪兜や背中当は結構色が綺麗。蓑はなんだか格好良かったり。

第5章の5は「境界:アイヌ」。
今回は木綿衣・小刀(マキリ)・箆(イクパスイ)・刀掛け帯と、割と代表的なアイヌの品々。

第5章の6は「境界:朝鮮」。
「敷輪」というものがあるんだけど、これ何に使うんだろう…。コースター的な?鍋的な?真ん中に穴が開いてるんだよね。

第5章の7は「境界:中国・華北」。
吉田璋也が軍医として中国北方に応召されていて、その間に中国の工芸の研究をしていたそうで。
で、その研究を鳥取に持ち帰って技術指導して、鳥取で椅子を作り始めたそうで。
今回展示されていた「技術指導をした」椅子は辰巳木工という会社のもので、そこはもう廃業されてるそうだけれども。
中国の椅子は剣持勇が記事を書いたものも展示されていた。ここも繋がるか。

第5章の8は「境界:台湾」。
台湾も日本統治時代。台湾原住民の衣装は原色で可愛い。
また、河井寛次郎が台湾の竹製椅子に興味を持って、自身でデザインをしている。椅子のデザインもするんだ…(そういえば大工の家の生まれなんだよね)。

第5章の9は「民藝と戦争」。
民藝って国産の産業でもあるので、戦争には利用しやすいよね…。
民藝専門の雑誌がそういう表紙になっている展示の数々。

第5章の10は「終戦と「美の法門」」。
「美の法門」は柳宗悦が戦後に刊行した論考集だそうで。宗教と民藝との思想的な本みたいだけれど。


6章「戦後をデザインする―衣食住から景観保存まで」。
戦後の民藝。1950年~70年。

第6章の1は「国際社会の中のMINGEI」。
世界に民藝が紹介されたりしている…が、1950年代はなかなか立ち直るには難しい時期で。
芹沢銈介が沖縄の紅型の研究を始めたのが戦前だったのだけど、紅型の技法を使った、とても明るく可愛らしいグリーティングカードを作成していた。確かこの頃、紅型の技法でカレンダーも作ってた認識(今回は展示ないけど、日本民藝館や旧国立近代美術館工芸館で拝見している)。

第6章の2は「民藝と「プリミティブ」」。
ちょっと原始に返って、縄文時代のものも集め出したのがこの頃みたい。
土器や「岩偶」が出ていた。朝鮮の少し前の時代の民画も出ていた。

第6章の3は「国立近代美術館を批判する」。
実は東京国立近代美術館が出来た時に、柳宗悦にかなり批判を受けたようで。まあ…確かに近代の美術と言われると、民藝は対極にあるものではあるけど。
こんなコーナーを作る東京国立近代美術館もなかなかアレではある。

第6章の4は「民藝とインダストリアル・デザイン」。
この時代になると、産業とか工芸に変わってきちゃう、ってことなんだろうね。実際、柳宗悦の長男の柳宗理はインダストリアル・デザイナーになるわけだし。
なので、ここの展示のデザイン指導は、柳宗理が行っているものも出てくる。
最初に出てきたのは、河井寛次郎がデザイン、第4章の7で出てきた金田勝造が作成した金属製キセル
それから吉田璋也デザインの数々。鳥取の牛ノ戸焼のものが多かったかな。緑と黒の釉薬で色分け(このデザインがモダン)するのが特徴の焼き物。
更に同じ牛ノ戸焼だけど、柳宗理がデザインのものが数々。
あ、そうそう、この頃、北欧デザインとの関わりもあったりする。

第6章の5は「柳宗悦の死と民藝ブーム」。
ここは柳宗悦の亡くなった後の文献等の展示。

で、ここで1階の展示室は終了。
今回は2階に展示室を続けている。いつも「ギャラリー4(13室)」となっている部屋。
第6章の6は「衣食住のデザイン」。
実は吉田璋也、従軍後に中国から日本に引き揚げてきた時に、中国の羊肉を火鍋のお湯で加熱して食べる料理を紹介していて、それを日本人の口に合うように牛肉にして、これが民藝運動家に伝わって、そのうちの一人の三宅忠一が永楽町スエヒロで「しゃぶしゃぶ」として売り出した、のだそうで。
民藝運動、しゃぶしゃぶに繋がった…!
ちなみに鳥取民藝美術館には「たくみ割烹店」って食事処があって、そこでも「すすぎ鍋」という名前でしゃぶしゃぶが食べられるそうな。
当時に作成された日本料理紹介のポスターが展示されていたんだけど、「たくみ割烹店」の名前もあって、芹沢銈介がポスター描いていたり。吉田璋也デザインの皿や椀も展示。
一方、京都の鍵善良房という和菓子屋さんの店主が民藝に興味があって、黒田辰秋と懇意にして、色々デザインしてもらっている。今回はくずきり容器とおかもちが展示されていた。
ちなみに鍵善良房さん、今年に入って美術館もオープンされている。
zenbi.kagizen.com
開館記念の展覧会が黒田辰秋だった。
あとは、「ざくろ」という銀座の和食店。こちらは芹沢銈介が色々デザインをしている。「新・美の巨人たち」で芹沢銈介が紹介された時、ちょっと店内が映ってた記憶があるなあ…。


展覧会の最後には、特設ショップが開かれているのだけど。
全国の民藝を取り扱っているお店が入っているので、もしかしたらお財布を用意した方がいいかもしれない。好きな人は嵌りそうだし。


10時入場だったんだけど、2時間半ぐらいどっぷりだった。
幅が広くて盛り沢山で、それでもそれぞれ「さわりだけ」なのだろうなあ…という展覧会。
それぞれ深堀りしてみたいと思ってしまったら、成功の展覧会なのかな。


続く。