時々、さんざめく

とるに足りないニワカ趣味話(旅行、美術、酒etc)

パリ世紀末ベル・エポックに咲いた華 サラ・ベルナールの世界展@松濤美術館

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またミュシャ関連展覧会か、と。
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展覧会の宣伝ポスターも、きっちりミュシャですな。

とはいえ、今回の展覧会の主役は「ミュシャを売れっ子にした張本人」女優のサラ・ベルナール

松濤美術館は、いつも地下1階→2階という順路なのだが、今回は2階→地下1階という順路だった。

1章「サラ・ベルナールの肖像―女優、時代の寵児として」。
この章が2階での展示。…ああ、2階でやる意味が分かったかも。松濤美術館の2階は高価そうなソファやテーブルが置いてあって、ちょっと豪華な感じの展示室。そこに、サラ・ベルナールの煌びやかな展示品を飾っている。うん、これは2階の展示室使って正解。
主な展示品はサラ・ベルナールの写真、肖像画、それから身に着けていた舞台用アクセサリー、彼女用に仕立てられたドレス。
サラ・ベルナールの写真を見て思うのは、そこまで絶世の美女!…ではないということ。スタイルもそうでもない(むしろちょっと…ふくよか…?)でも、笑顔がコケティッシュだったり、舞台の立ち姿は(決して細くない、ということもあるかもしれないが)「威風堂々」という感じを受けた。とても格好いい。
実はサラ・ベルナールって男性役も多い、というか結構好んで演じてたみたい。ミュシャがポスター宣伝描いてた「ロレンザッジオ」「ハムレット」もそうだけど。
あと、普段の写真とかも展示されているのだけれど、それも非常に綺麗な服とか、豪華な内装の家とか、素敵な庭でとか、そういう写真が多い。恐らくなんだが、私生活も全部、女優として演じている部分があったんじゃないかなあ。一時期、ベッドが棺桶という時期があって、棺桶の中で写真撮ってるのもあるんだけど、この辺も含めてプロデュース力が強い。
そしてお金はかかりそう。サラ・ベルナールには若い頃産んだ息子(未婚で産んでいて、父親は名前が挙げられている人はいるけれどサラ・ベルナールは決して言及していないそうな)がいて、息子がギャンブル好きで(遠い目)それも含めてお金が大変そう。
しかし…「街着姿のサラ・ベルナール」という1902年に撮影された、とても美しい写真があるのだが。…1902年撮影…58歳*1…だと…?
息子が早めに結婚したので「サラ・ベルナールと孫娘シモーヌ」という孫娘とのツーショットの写真があるが、それが1910年撮影。66歳…えっちょっと待って孫娘(展覧会の年表上、サラ・ベルナールが43歳ぐらいで生まれてる)が成人している上に真顔なせいか、孫娘と祖母って年齢差に見えない…(あ)女優凄い…(遠い目)

ここからは地下1階。
地下1階の前に、写真OKな複製品(というか、写真展示物の更に写真等)があったり。

2章「パトロンとしてのサラ・ベルナールミュシャ、ラリックとの関係」。
2章はサラ・ベルナールミュシャ、そしてルネ・ラリックの関係作品。
そうそう、ラリックも絡んでいるんだよね。
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ラリックは宝飾デザイナーとして売れっ子(ガラス作品を作成する前の話。ガラス作品作成自体を遅くから始めているので)で、サラ・ベルナールは元々顧客だったそうだが、その縁で舞台用の作品も手がけるようになったようで。
一方、ミュシャサラ・ベルナール(この時はもう大女優)がクリスマスに舞台「ジスモンダ」のポスター作ってくれる人を探してたら、たまたま皆クリスマス休暇で、仕事していたのは当時無名のミュシャだけで、作らせたら大評判になった、という逸話があるのだけど。
実はミュシャ、その直前に「ル・ゴロワ」という雑誌で、「ジスモンダ」の特集記事を描いていて、それが展示会で出ていた。これが凄い綺麗な絵で、舞台の好評を伝える記事だった。
サラ・ベルナール、もしかしてポスター作成する人を探すの、そこまであてずっぽうではなかったのでは…。勿論色々探しててなかなか見つからなくて「そういえば、あの雑誌で挿絵描いてた人はどう?」ってなった可能性はあるなあ、と。
さて、ミュシャデザイン、ラリック制作の「舞台用冠 ユリ」(「遠国の姫君」のやつ。「みんなのミュシャ」展に出てなかったっけ?)も出ていた。
ミュシャの「『魔女』のための衣装案」とか、ラリックの「テオドラ」の冠制作案(こちらは公演プログラムにまで載ってた)とか、実物で実現したかったら見てみたいなあ、と思うものもあった。

3章「サラ・ベルナールとその時代-ベル・エポック」。
ここはサラ・ベルナールからは離れて、ベル・エポック時代の作家、及び時代のポスター。中心はミュシャとラリックだが、ロートレック、ボナールも。
ミュシャは見たことがあるものが多かった。「巫女」は本当に後期、スラブ叙事詩を描いていた頃の油絵なので、これは見られて良かったかな。
ラリック作品で一番好きだったのは「ペンタント 女の横顔とプラタナス」かな。
あと、時代ポスターとして出ていたポスターのうち2枚が、「フォリィ・ベルジェール座」。出たよ。
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実はこちらの展覧会でも、フィリー・ベルジェールの宣伝ポスターは出てたなあ。

4章「サラ・ベルナール伝説」。
こちらは周辺諸々。
サラ・ベルナールのCM(この時代だと商品ポスター)関連だと、白粉「ディアファーヌ」 のポスター可愛かった…。
それから雑誌の批判とか風刺とかの記事。…敵、多そうだよねえ(遠い目)
で、「サラ・ベルナールの日」というのを1886年に開いていて、その関連資料。記念冊子の絵をミュシャに描かせたりしてるよ。
それから、サラ・ベルナールの女優以外の仕事。脚本書いたり、小説書いたり、それから彫刻。
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以前こちらで見た事があるのだが、今回のは、ブロンズ「キメラとしてのサラ・ベルナール」。羽根が生えて、身体は四足獣っぽくて、顔はサラ・ベルナール。結構、グロテスク。…自分で作成するか、これ。どんなものでも演じてみせる自分を表現した、にしては、ねえ。それとも、わざとグロテスクに作ったのかな。
そして、サラ・ベルナールの晩年の肖像画。実は、1章と4章で、サラ・ベルナール肖像画を沢山描いていた画家がいた。ルイーズ・アベマ。女流画家。サラ・ベルナールの恋人でもあったのではないかとも言われているけれど(とはいえ、サラ・ベルナールの恋人は男性でも沢山いるのだが…)、彼女は晩年の姿も描いているんだよね。少なくとも生涯、サラ・ベルナールをずっと描いていたい対象だったのは確かなのかも。

美術というか。恰好いい女傑の一生を見せてもらった、そんな感じ。

*1:サラ・ベルナールの生年は複数説があって、この展覧会では1844年生まれとしている